RSS FEED
※キーワードでサイト内の記事が検索できます

13歳で知った母の真実

西村滋(作家)

     

(『致知』2011年6月号 特集「新生」より)

 僕は幼少期に両親を結核で亡くしているんですが、
 まず母が六歳の時に亡くなりました。
 
 物心のついた時から、なぜか僕を邪険にして邪険にして、
 嫌なお母さんだったんですよ。
 散々いじめ抜かれて、憎まざるを得ないような母親でした。

 これは後で知ったことですが、
 母は僕に菌をうつしちゃいけない、
 傍へ寄せつけちゃいけない、という思いでいたようです。
 
 本当は入院しなきゃいけない身なんですが、
 そうなれば面会にも来させられないだろう。
 
 そこで母は、どうせ自分は死ぬのだから、
 せめてこの家のどこかに置いてほしいと父に頼み込み、
 離れを建ててもらったそうです。

 僕はそこに母がいることを知っているものですから、
 喜んで会いに行く。するとありったけの罵声を浴びせられ、
 物を投げつけられる。
 
 本当に悲しい思いをして、
 だんだんと母を憎むようになりました。
 母としては非常に辛い思いをしたんだと思いますよ。

 それと、家には家政婦がいましてね。
 僕が幼稚園から帰ってくると、
 なぜか裏庭に連れて行かれて歌を歌わされるんです。
 
 「きょうはどんな歌を習ってきたの?」と聞かれ、
 いくつか歌っていると「もっと大きな声で歌いなさい」
 なんてうるさく言うから嫌になったんですがね。
 
 これも母が僕の歌を聞きながら、成長していく様子を
 毎日楽しみにしていたのだと後になって知りました。

 僕はそんなことを知る由もありませんから、
 母と死に別れた時もちっとも悲しくないわけね。

 でも母はわざとそうしていた。
 病気をうつさないためだけじゃない。

 幼い子が母親に死なれて泣くのは、
 優しく愛された記憶があるからだ。
 憎らしい母なら死んでも悲しまないだろう。
 
 また、父も若かったため、新しい母親が来るはずだと
 考えたんでしょうね。
 継母に愛されるためには、実の母親のことなど
 憎ませておいたほうがいい、と。
 
 それを聞かされた時は非常にびっくりしましたね。

 私がそれを知ったのは、
 孤児院を転々としながら非行を繰り返し、
 愛知の少年院に入っていた十三歳の時でした。
 
 ある時、家政婦だったおばさんが、
 僕がグレたという噂を聞いて駆けつけてくれたんです。
 
 母からは二十歳になるまではと口止めされていたそうですが、
 そのおばさんも胃がんを患い、
 生きているうちに本当のことを伝えておきたいと、
 この話をしてくれたんですね。

 僕はこの十三歳の時にようやく立ち直った、と
 言っていいかな。あぁ、俺は母に愛されていた子なんだ、
 そういう形で愛されていたんだということが分かって、
 とめどなく涙が溢れてきました。

◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫

「人間力.com」は月刊誌『致知』より引用しています。

『致知』には毎号、心の琴線に触れる記事が満載です。
まだお読みでない方は、こちらからごお申し込みください。

「致知」購読の申し込みはこちら

毎月858円で、人間力が高まります。
 ※お気軽に 1年購読
 10,300円 (1冊あたり858円/税・送料込み)
※おトクな 3年購読 
 27,800円 (1冊あたり772円/税・送料込み)
◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫◫



上に戻る



メルマガ配信の登録はこちら

携帯電話やスマートフォンのメールアドレスで登録をされる方は、「@chichi.co.jp」からのメールの受信ができるよう設定してください。 >設定方法はこちら

※ご登録前にお読みください。 読者登録規約 個人情報保護ポリシー ※解除はこちら