“できない”と“やらない”を混同しない

“できない”と“やらない”を混同しない

大塚全教(無心庵 この花会)

     

(『致知』2006年3月号 特集「道をひらく」より)

大石順教先生
(17歳で養父によって両腕を切断されるも、
 菩薩行に一身を捧げた尼僧)
のところには身体の不自由な女性が数人、
寝食を共にしておりました。
1日は朝5時起床、庭の草取りから始まります。

足がだめな人はゴザに座って周りをきれいにし、
手が不自由な人は足で草を抜き取ります。
その仕事を順教先生は率先してなさいます。

それが済むと千手観音様にお参りして
般若心経一巻を唱え、朝食です。
不自由を抱えた身体でも、それぞれが工夫して
日常を立派にこなしていく様子は驚くばかりでした。
それからそれぞれが仕事にかかります。

私に与えられたのは便所の掃除でした。
私は絵の修業にきたのに、
なんだか当てが外れたような気がしました。
それに、便所掃除などやったことがありません。

それまで自分では努力して日常のことは
だいたいできるつもりでしたが、
できないところは父母やきょうだいに
助けてもらっていました。
誰の力も借りず一人で便所掃除など考えられません。

「できません」

私はそう答えました。

それなら便所を使ってはならない、
というのが順教先生のお返事でした。
それは出ていけというのと同じです。
決心して京都にきたのに、それでは困ります。

順教先生は私を井戸に連れていきました。
その頃は水道ではなく、ポンプ式の井戸でした。
私の力の弱い左手では
とてもポンプを押すことはできません。

すると、順教先生は背中でポンプの柄を押し上げ、
次は腋に挟んで押し下げてみせたのです。
勢いがないから、水はぽたぽたとわずかしか出ません。
でも、確かに水は汲めるのです。

次はバケツの水を便所まで運ばなければなりません。
だが、肘から先しか動かない私の左手の弱い力では、
バケツいっぱいの水はとても運べません。

それなら、私の左手で持てる少しだけの水が
バケツの底に溜まったところで運び、
便所にもう一つバケツを用意しておいて、それにあける。
それを繰り返せば、バケツいっぱいの水が
運べることを教わりました。

それから便器を拭き、床に雑巾をかけます。
それには自由に動く足を使います。

時間はかかります。だが、工夫を凝らせば
誰の助けも借りず、確かに自分一人でできるのです。

「あなたはできないと言うが、
 できないのではなくやらないだけ。
 やらなくてできるはずがありません。
 人間、やればできないことはない。
 できないとやらないを混同してはなりませんよ」

順教先生の言葉が身に染み、
目の前がぱあっと明るくなっていったのが忘れられません。
そうなのです。
私の道はあそこからひらけていったのです。

不自由を抱える身体だからこそ、
日常生活はきちんとしなければならない。

順教先生はこの考えを徹底されていて、
それは厳しいものでした。
だが、身体の自由になる部分を使って工夫し、
身の回りをきちんと整えると気持ちが柔らかくなり、
自然と微笑みがこぼれるようになるものです。

真の優しさは厳しさの中にある。
これも順教先生にお仕えして知ったことでした。

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「人間力.com」は月刊誌『致知』より引用しています。

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