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14人の里子を育てた神父の戦争体験

後藤文雄(吉祥寺協会神父・NPO法人アマタック カンボジアと共に生きる会代表)

      

(『致知』2014年8月号「一刹那正念場」より)

一九二九年、私は新潟県長岡のお寺に
次男として生まれました。
小学六年生の時に戦争が勃発。
一九四五年の長岡空襲で母、妹、二人の弟、
そして家財道具の一切を失いました。

母は近くの橋のたもとで、
全身火傷を負い半身が
泥に浸かった状態で発見され、
「仲よく暮らしなさい」と言い残して絶命。

三歳の弟は寺の境内で見つかり、
重傷を負った五歳の弟は、
「おっかちゃん、痛いよう、痛いよう」と
叫び続けた末、力尽きました。
妹は、誰ともわからない遺骨となって帰ってきました。

生き延びた父はと言えば、
母が悲惨な死を遂げたばかりだというのに、
一年後には再婚を宣言。
私は生きる希望も、行き場も失ったのです。

そんな私を救ってくれたのが教会でした。
私は小学校の恩師の伝手で、
学校の代用教員として
働き始めていたのですが、
その同僚の妹が私の境遇を知り、
「一緒に教会へ行きましょう」と
声を掛けてくれたのです。

人の愛情に餓えていた私は、
教会の方々に温かく迎えていただき、
人生をやり直す力を取り戻すことができたのでした。

そして一九四七年、
知人を訪ね東京に出た私は、
駅で物乞いをする戦災孤児たちの
悲惨な姿を目にするのです。
その光景が私の人生を決定付けました。

「一歩間違えば、私も彼らと同じ運命を辿っていただろう。
 生き残った私には、世の中のためにできることがあるはずだ」

長岡に戻った私はその思いを教会の司祭に伝え、
聖職者として恵まれない人々を
救うために一生を捧げようと誓ったのです。

自らの少年期の境遇、無念の死を
迎えたであろう戦災孤児たちの姿を、
私はカンボジアの子供たちに重ね合わせ、
この子たちだけは守り抜こうと、
必死に彼らを育ててきたのでした。

里子の一人に、祖国の貧しい村々に
学校を建てているブンラーという男性がいます。
私もNPO法人を作り、
彼の団体に資金面の援助をする形で、
これまで十八校の建設に携わりました。

二〇〇一年、鮮やかな赤レンガ屋根の学校が建った時、
完成式に呼ばれた私は、
門柱に日本語でこう刻んだのです。

「教育は希望を 希望は平和を」

子供は本来皆、美しい心、素晴らしい才能を持って生まれてくる。
それを曇らせてしまうのは
いつも大人たちです。
これまで建てた学校から、
一人でも多くの子供たちが希望を持って
世に飛び立ってくれたなら、
どんなに素晴らしいことでしょう。

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「人間力.com」は月刊誌『致知』より引用しています。

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