坂東玉三郎さんがスランプを脱せた理由

坂東玉三郎さんがスランプを脱せた理由

坂東玉三郎(歌舞伎俳優)

      

(『致知』2014年8月号「一刹那正念場」より)

ーー若くして脚光を浴び、
活躍し続けてきた玉三郎さんにも
逆境と呼べる時代はありますか。

養父が亡くなる前後でしたかね、二年半、
一日もお休みがない時期がありました。
ありがたいことに次々役が来て、
取材が来て、踊りの会があり、
千秋楽の次の日にはすぐ次の稽古があると。
しかも一日三役も四役も、
多い時には五役もある。
それが三十か月間続いたところで、
心身ともに許容量を超えたな、
というのが自分でも分かりました。

心身症になって、人と話せなくなりました。
二十四歳の時です。

ーーそれをどう乗り越えられたのですか。

それは時間が解決するしかなかったですね。

ーーでは、その時は舞台をお休みされて?

いえ、仕事はしていました。
舞台にだけは出られるんです、不思議と。
ただ、引っ込んできた時には
もう起きてはいられなかったし、
人とも話せませんでした。

八月から具合が悪くなって、
九月、十月の間はほとんどごはんも喉を通りませんでした。
そして十一月には二十五日間で
二十三か所を巡る巡業が控えていたんです。
とてもじゃないけれど
無理だと思いまして、お医者様に、
「降りられるよう処方箋を書いてほしい」と言いました。
すると先生は「行きなさい」って。

ーー舞台に立ち続けなさいと。

はい。行って、ダメならすぐに帰って来られるよう、
会社にも代役の準備をしてもらいなさいと言われました。

そうして巡業に出たら、
憑き物が落ちたように二、三日で治っちゃったんです。
毎日環境が変わって、
取り巻いている人間関係も変わるからでしょうね。
各地を転々とする中で、
「あれ、おまえごはん食べているじゃないか」と言われて、
「あ、本当だ」って気がつきました(笑)。

ーーしかし、舞台に穴をあけずに治されたというのはすごいですね。

逆に仕事をしていたから治ったんじゃないですか。
先生から処方される薬では治りませんでしたし、
先生もそれを感じてらして、
仕事せずに家で寝ていても治らないと思ったのでしょう。

大変ありがたいことに、
仕事が来ないという逆境はなかったんです。
仕事が来て、それをこなし切れずに
心身がついていけなくなってしまう。
それ以後三十代、四十代にも
同じような症状に陥ったことが何度かありますが、
仕事を休むことはなく、
転地療法と時間の経過を待つ、
という方法で乗り切ってこられました。

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「人間力.com」は月刊誌『致知』より引用しています。

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