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闘い抜いた27年間

峯 陽一(同志社大学教授)

      

(『致知』2014年6月号「長の一念」より)

たった一人の男の信念が、
約三百五十年続いた人種差別から黒人たちを解放した。
その男の名はネルソン・マンデラ。
そのマンデラを敬愛してやまない
同志社大学の峯陽一教授とともに、
27年間に及ぶ獄中生活にも屈することなく、
祖国のために闘い抜いた「南アフリカの父」の歩いた苦難の道を辿るーー。

マンデラは自伝の中で、
獄中のことも多く書き残していますが、
特筆すべきは彼が獄中にあっても
闘争心を失わなかったということです。

半ズボンだった囚人服を長ズボンにしろとか、
面会条件の緩和、食事の内容などの待遇改善を求めて、
刑務所の当局と学生時代に経験のある
ボクシングさながらに闘い続けたのです。

マンデラは島全体が監獄になっていた
ロベン島に収監されていました。
いまは世界遺産になっていて
誰でも見ることができるのですが、
彼の独房は狭く、普通の人間であれば
すぐに心が折れてしまいそうな環境です。
妻と子供たちと離れ離れになり、
胸の張り裂けるような日々だったことでしょう。

しかしマンデラは決して諦めませんでした。
知恵を捻り出しては外部との通信を試みたり、
自己を律すべく狭い独房の中で
自分の体を鍛えることを怠りませんでした。

マンデラが獄中にいる間、
国の状況はどうなっていたかというと、
彼に続く世代が台頭していました。
その中心人物はスティーブ・ビコという頭の切れる人物で、
一九七〇年代前半には
南ア全土での運動を組織化するなど、
反アパルトヘイト運動の主導権は彼が握っていたのです。

ところが一九七七年に警察に捕まったビコは、
拷問の末に殺されてしまいました。
この事件は国内のみならず世界中に衝撃を与え、
白人政府は非難の的となりました。
一方、再び指導者を失った黒人たちは
新たな指導者を求め始めます。

この時に立ち上がったのが、
マンデラの妻ウィニー・マンデラでした。
マンデラに帰ってきてもらおうという運動を、
彼女は世界中で展開し始めたのです。
その闘志は凄まじく、
彼女がマンデラを出獄させた立役者と言ってもいいでしょう。
「マンデラを釈放せよ」という
スローガンが世界中で叫ばれ、
さらにアメリカをはじめ各国から経済制裁を受けるに至って、
白人政府は遂にアパルトヘイトの撤廃を決断したのです。

こうして自由を求める南アの闘いの
シンボルとなったマンデラは、
一九九〇年二月に釈放されました。
既に七十一歳という高齢の身ではありましたが、
大観衆を前にして衰えた様子を見せることはありませんでした。
 

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「人間力.com」は月刊誌『致知』より引用しています。

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