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人間の幸せとは

竹内昌彦(岡山県立岡山盲学校講師)

      

(『致知』2006年9月号「上に立つ者の人間学」より)

私が右目の視力を失ったのは生後間もなく、
中国からの引き揚げ船の中でした。
肺炎による四十度の高熱で神経をやられてしまったのです。

私が目指したのは東京教育大学(現筑波大学)の
盲学校教員養成コースで、
定員二十人の狭き門でした。
挑戦するとはいっても
視覚障害者のための参考書などない時代。
高校生のボランティアに
参考書を読み上げてもらい、
それを点字に打ち替えました。

半年間でこの作業を終え、
今度は毎晩二時過ぎまで
その本を読んで勉強に励んだのです。

幸いにも結果は合格でした。
電報が届いた時、
まずこのことを両親に伝えたいと思いました。
厳しい受験勉強を頑張り抜けたのも、
心配をかけてきた両親を何とか喜ばせたいという
強い思いがあったからです。
それだけに両親の喜ぶ声を聞いた時、
ようやくこれで親孝行が
できたという満足感に満たされました。

私の幼少の頃は家に障害者がいると
「世間体が悪い」「きょうだいの縁談に差し障る」と言って
家の奥に閉じこめていたものです。
だが、私の両親は違いました。
世間知らずにならないようにと
お祭りなど人の集まる場所に連れ出し、
川や山に行っては自然の中で
体を鍛えさせてくれたのです。

通りすがりの人の
「親の言うことを聞かないと、
あの子のように罰が当たって目が潰れるよ」という
心ない言葉にも、悠々として
まるで気に留める様子がありませんでした。

昭和三十九年、十九歳の私は東京オリンピックの後の
パラリンピックに卓球の岡山県代表として出場しました。
家族や多くの人に見送られて岡山駅を出発する時のことです。
普段はおとなしい父が、
電車のベルが鳴るやいきなり大声で
「竹内昌彦、万歳」と三回叫んだのです。

どのような思いで父が万歳三唱したか、
私にはよく分かりました。
それは、目の見えない子をここまで育てあげた、
国際舞台に出場させることができたという
父自身の勝利宣言に他なりませんでした。

私は、人間の幸せは地位でも名誉でもなく、
愛のある生活の中で希望を持って
生きられることだと思っています。
愛とは自分を犠牲にしてでも
愛する人に尽くすことであり、
親の子に対する姿勢こそがそれなのです。

自分だけの喜びを求めている以上、
幸せは得られません。
私の長男は重度の脳性小児麻痺を抱えて生まれ、
僅か七歳でこの世を去りました。
言葉にできない辛い出来事でしたが、
これを通して障害児を授かる
親の思いが痛いほど理解できるようになりました。

弱肉強食のせちがらい世の中にあって、
微力ながら人間の幸せについて
考えてもらうお手伝いができたら……。
盲学校を定年退職した今日も、
そういう思いで講演活動を続けています。

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「人間力.com」は月刊誌『致知』より引用しています。

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