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「天は人の上に人をつくらず」はどこから生まれた言葉か

中村勝範(慶應義塾大学名誉教授)

      

(『致知』2011年4月号「先師先人に学ぶ」より)

私は自分の人生経験からか、
人と少し違うところに気づくんですけどね。
福澤諭吉が「天は人の上に人をつくらず」と言いましたでしょう。
そうすると多くの学者が、
福澤はアメリカやイギリスの
こういう本を読んで影響を受けたなどと言うんですが、
私は違うと思うんですよ。
「天は人の上に人をつくらず」と
福澤が言ったのは母親の影響だと思います。

父親は四歳半の時に亡くなっているから、
福澤は父がどういう人かは知らないんですよ。
父の死後、一家は大坂を離れて
母親の故郷の大分の中津に引っ越すのですが、
方言で言葉が通じない。
母親ときょうだい四人、近所との付き合いがなくて、
幼少期の福澤の社会はこの家庭だけなんですね。
その中で母やきょうだいがしょっちゅう
福澤に話して聞かせたのは
亡き父親のことでした。
お父さんはああだった、こうだったって。

そして、これを誰も指摘しないのが不思議なのですが、
近所に女の乞食がいたんですよ。
友だちは皆バカにして石を投げ付ける。
その時、福澤の母親は「こっちに来なさい」と言って
髪を洗ってやるんです。
そして諭吉には「おまえは石の上でシラミを潰しなさい」と。
これを見ると、どこにも差別はないじゃないですか。
この体験なくして、
「天は人の上に人をつくらず」なんて分かるわけがない。

それと同じで吉田松陰の父親は
侍であると同時に百姓なんです。
明けても暮れても肥料をかけたり、
屋根を直したり、堆肥をつくったり、
百姓以外の仕事は何もやっていない。
そういう父親を見ながら松陰は誇りを持っていきますね。
俺は農業を大切にする家に育ったんだって。

また、母親の実家は豪農なんです。
それが貧しい侍の家に嫁いで、
泥まみれになって働いたわけでしょう。
それだけを見ても松陰の両親には
人間の差別意識などまったくなかった。
弟子を分け隔てなく育てる松陰の人格は、
ここで築かれたのだと思います。

 
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「人間力.com」は月刊誌『致知』より引用しています。

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