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教化は国の急務なり

下村博文(文部科学大臣・東京オリンピック担当国務大臣)

      

(『致知』2013年6月号「一灯照隅」より)

記者 政治家を志された原点には、
   ご自身の幼少体験が大きいとお聞きしています。

下村 私は群馬の山村で生まれ育ったのですが、
   九歳の時、農協に勤めていた父が
   突然交通事故で亡くなりましてね。
   下には五歳と一歳の弟がいました。
   三十二歳の母親はそれまで子育てに専念していましたから、
   金銭的な面で前途は暗澹たるものでした。
   近くの民生委員に生活保護を受けるよう勧められたそうですが、
   母は「いや、働ける限りは自分たちで頑張って生きていきます」と。

   それで私たちは母の実家がある隣町に移り住みました。
   母は夜明け前から小さな田畑を耕して、昼間はパートで働き、
   それが終わると再び真っ暗になるまで
   農作業に精を出すという生活でした。
   生卵一個を兄弟三人で分けて食べるほど
   極貧生活だったことをいまでもよく覚えています。

記者 政治家になりたいと思われたのはその頃からですか。

下村 子供心に手のひらを返したような
   世の中の厳しさ、冷たさも味わいましたし、
   一方で私たちに温かい手を差し伸べてくれる人もいました。
   大人になったらそういう人に
   恩返しできる人間になりたいとはずっと思っていましたね。
 
   小学校五年生の時だったと思います。
   家庭科で裁縫を始めることになったのですが、
   そういう道具すらまともに買えない家庭でした。
   ある時、家庭科の先生が私のためだけに、
   他の子には分からないようにそっと裁縫道具を渡してくださいましてね。
   

   「博文ちゃんは将来、文部大臣になるかもしれないね」
   

   とおっしゃったんです。
   いま思うと、その先生の言葉を心の財産として
   ずっと大切にしてきたのかもしれません。

記者 先生の一言を深く心に刻んでこられた。

下村 文部大臣になりたいと意識したのは二十代の頃でしたけれども、
   しかしその原点は小学五年生の時、
   先生が掛けてくださった何気ない励ましの一言でした。
   おそらく先生はそのことを忘れていらっしゃるでしょうが、
   先生から生きる力をいただいた思い出は、
   いまも鮮明に残っておりますね。

記者  小学生の頃から勉強にも熱心に励まれたとか。

下村  私は貧しい母子家庭だったこともあって、
    友達からいろいろといじめられもしました。
    意識の目覚めが割合早い子供だったようで、
    小学生の頃から「自分はなんのために生まれたのか」
    「どう生きるべきか」と思い悩んでいました。

    そういう中で図書館に行って偉人伝を読み、
    歴史に名を残す人物は子供の時から順風満帆、
    スーパーエリートで物事を成したのではなく、
    いろいろな挫折、苦労、貧困を味わいながら
    人間として大成していったことを知るんです。
    それは私にとって生きる励み、人生のヒントでしたね。
    学校にあった偉人伝は全部読み尽くして、
    小さな図書館の、たぶん三分の一くらいの
    本を貪るように読んだのではないかと思います。
 

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「人間力.com」は月刊誌『致知』より引用しています。

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