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「命にもご飯が要る」

畑正憲(作家)

 

(『致知』1992年7月号特集「楽」より)

何回も咬まれてプロフェッショナルに
なってますからね。
星の数ほど咬まれた。数えたことはないが、
体に空いた穴というのは千回やそこらではない。
そういう痛い思いをしないと、
初めて会う動物をつかむことができません。

(略)

その中には、骨折したり、いろいろなことがありました。
大げさにいえば自然相手の仕事というのは、
出掛けるについては毎回、覚悟してかからなければなりません。
首を洗って出ていくというね。

自然をばかにすると、すごいシッペ返しを食らいます。
どう猛な動物がいつ、突進してくるか、
いつ、なぎ倒してくるか、いつ、大けがをするか、
私は洗いすぎるくらい首を洗っている(笑)。

私が動物を見て好きな点の一つは、
プライドとか自信とか、地位とか、名誉とか、金とか、
財産とか、要するに自分の飾り、この世の飾りというものは、
危険な動物に会うときにはまったく役に立たない。

アメリカの大統領であろうとなんであろうと、
アフリカの象が受け入れるときには、
一個の生物として受け止めるのですね。

生き物の前ではそうしたものが
全部ないところに価値がある。

すると、生まれたままの姿というか、
自分の魂が洋服を脱いだというのか、
そういうところが役に立つ。

時には動物に殴り倒されて、原野に横たわる。
非常に惨めですよ、痛いし、切ないし。
ばかにされたという思いは痛烈にあるし、
自分が通用しなかったという思いもあるし、
本当に惨めです。

しかし、そんな惨めさも私はすぐ好きになるんですね。
ちょうどギャンブルが好きだったときに、
負けて帰るときの惨めさにちょっと似ている。

太陽の光や、朝の光を浴びてね、
サラリーマンと逆方向にとぼとぼと帰るときの、
ああいう気持ちにすごく似ている。

私にとってはどうも、
裸になって動物と触れ合って生きるということは、
自分が生きていくための命の栄養、
「命のご飯」の一つのような気がしてならない。

体にご飯が必要なように、命にもご飯が要る、
という気がするのです。だから、命が老いないためにも、
成り上がらないためにも、悲しんだり、悩んだり、
惨めになったりすることは、とても大切だと思う。

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「人間力.com」は月刊誌『致知』より引用しています。

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