「母の大恩」

「母の大恩」

坂村真民(仏教詩人)

      

私が詩を書くのは、母の大恩を思うたび、
詩に精進することによって、
少しでも恩を返したいからです。

母に関して、私にはいまだに忘れられない
夢のような美しい思い出があります。

それは、まだ幼い私をおんぶした母が、
田んぼの中にある共同墓地に行き、
「乳が多くて」「乳が出すぎて」といいながら、
乳も飲めずに死んでいった童男、童女の墓石に
白い乳をしぼってはかけ、しぼってはかけて拝んでいる姿です。

体格のよかった母は、私の妹に飲ませて、
なお余りあるほど乳が出ていたんでしょうね。
本当にたらちねの母という言葉通りの大きい乳でした。

(インタビュアー:それは先生がおいくつくらいのときですか)

4歳くらいです。
ぼくはいまでも、その墓地で、おふくろが
乳をかけて回っている姿がはっきり浮かんできます。

「これはなあ、乳も飲まんで死んでいった子よ。
 だから、乳を飲ませてあげるのよ」
 
 
というて。
私は、母がよう4歳の私を連れていってくれたと思うんです。
私が今日信仰をしっかりと持つことができたのは、
深く掘り下げていくと、ここに行き着く。

だから、私は若い母親たちに必ず、いうんです。
こういうことは見たことも聞いたこともないだろうが、
しなさいや、と。

そしたら、子どもが見とる。
それだけ見せたら、あと、しつけもなにもいらん、と。

だから、幼い子になにを刻みつけてくれるかということ、
三つ子の魂の中に、なにを注ぎ込んだかということです。

(インタビュアー:
 先生は、そのお母さんの姿を詩になさっていますね。一部紹介しますと)

  そういう母の思い出のなかで

  私が今も忘れないのは

  乳が出すぎて

  乳が張りすぎてといいながら

  よく乳も飲まずに亡くなった村びとの幼い子たちの小さい墓に

  乳をしぼっては注ぎしぼっては注ぎ

  念仏をとなえていた母の

  美しい姿である

  若い母の大きな乳房から出る乳汁が

  夕日に染まって

  それはなんとも言えない絵のような

  美しい母の姿であった

母との最後は「木葉(このは)」という小さな駅で、
私を見送ってくれたときです。

そのときはこれが最後とは思っていませんでしたが、
列車が来るまでにベンチに一緒に腰をかけてた私たちの前に、
老夫婦が腰かけていました。

私は四国に帰ったら、当分来れないから
いろんな話をしよったら、母が私をつつくんです。

「黙っとんなさい、向かいの夫婦の話を聞くんだ」

と。それは、その老夫婦が、娘が離婚されて帰ってくる、
そのつらさを二人で話しよるんですね。

そういう人たちの話、世の中のいろんな人の
苦しみ悩みに耳を傾けるんだ、と。
しんみり聞いとくんや、と。

これも、おふくろがぼくに最後に示した教えです。
大慈大悲というのはこれだと思いましたね。
そういうおふくろは、やっぱり偉いなあと思いましたね。

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